井岡弘樹 vs 李敬淵 (昭和63年1月)



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日本のボクシング界を語る上で欠かせない人物が、
『エディ・タウンゼント』だ。



力道山の誘いで来日したエディは、多くのジムでトレーナーを務め、
藤猛やガッツ石松を始め、6人の日本人世界チャンピオンを育てた。



その中で最後の教え子となったのが、井岡弘樹だ。



この日、満員の観衆で熱気渦巻く大阪城ホールだったが、
エディは瀕死の状態で、井岡のセコンドにつこうとしていた。



しかし、試合開始のゴングが鳴るころ、エディの姿はなかった。
呼吸不全が起こり、救急車で搬送されていたのだ。



ストロー級初代世界王者となっていた井岡だったが、
それまで世間の評価は高いものではなかった。



うまさは光っていたが力強さに欠け、観客側からすれば、
熱さが伝わってこないボクサーだった。



しかし、王座初防衛戦となったこの試合は、
井岡の熱さが遺憾なく発揮された試合となった。



11ラウンドが終わった時点で内容はほぼ互角。



残すところ、あと1ラウンドとなって判定にもつれ込むと、
どう転ぶかわからない状況だった。



運命の最終ラウンドが始まり、
井岡の右ストレートが、クリーンヒットする。



かろうじて挑戦者は立ちあがるが、
井岡はかまわず強烈なパンチを浴びせた。



それは、これまでに見せたことのなかった、
井岡の荒々しいファイトだった。



井岡の勝利から10時間後、
エディは井岡の初防衛成功を知り微笑んだ後、
肝臓がんのため息を引き取った。



その後、井岡は日本人として、3人目の2階級制覇を成し遂げる。



時代は平成に入り、国内でもっとも活躍したトレーナーに贈られる、
『エディ・タウンゼント賞』が創設されるなど、その功績は、
今も広く称えられている。







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